初めてやるPC-88版ハイドライド!#3 天才プログラマーとRPGの創生期

ハイドライドが発売された時代

ハイドライド1回目です。
なんにもわからないまま始めたハイドライド。何せ時代背景とかも、まったく知らなかったんです。でも、調べてみたら、お化けゲームだったんですね。

考察1回目では、PC-8801という当時最先端のパソコンのお話でした。今回はハイドライドが発売された時代に注目したいと思ってます。

発売は1984年12月

ハイドライドが発売されたのは、1984年12月のことでした。
当時はRPGというものがようやく世に出てきた時代。
やっと現在の姿が見え始めてきたころでした。
まだドラゴンクエスト1も発売されていないんですよ。
今度リメイクが出ますが、1986年ですから、2年近く違います。

実はこの年、多くのRPGが発売されました。まだまだRPGがうまく伝わっていない時代です。ハイドライド発売以前は、なんかやたらと複雑で、面白いのかどうなのかもわからなかったそうで、あまり定着していなかったということでした。
それが1984年に一気に変わります。

テトリスで有名になるBPSが「ザ・ブラックオニキス」
3作目まで作られることになるクリスタルソフトの「夢幻の心臓」
現在のコーエーテクモの前身である光栄からは「ダンジョン」
イースや軌跡シリーズで有名なファルコムからは「ドラゴンスレイヤー」


引用:日本ファルコム ドラゴンスレイヤー PC-88版

これらが発売されたそうです。実は全然知らないんですけどね💦
イースはいろいろとお話を聞きますが、あとのものは全然わかりませんでした。
ですが、ザ・ブラックオニキスは日本のRPGを作ったゲームのひとつだそうですし、光栄のダンジョンはRPGという形を明確にしたソフトだったそうです。あとから見ればドラゴンクエスト1にそっくりなのが夢幻の心臓で、ドラゴンスレイヤーはRPGとアクションを融合させて育つという要素を組み込みました。

こうやって見ると、ハイドライドは生まれた時代のRPGの最先端だったということになるでしょう。

西の天才 内藤時浩氏

ハイドライドを生み出したのは、T&Eソフトの内藤時浩氏でした。T&Eに入社して開発4本目のソフトがハイドライドだったそうです。入社前には、今ではほぼ見かけない、パソコンのプログラム雑誌にゲームを投稿し掲載されるなど天才として知られていたそうで、のちに「西の内藤・東の木屋」と呼ばれる天才プログラマーでした。この東の木屋氏は、ドラゴンスレイヤーを手掛け、イースを生み出すファルコムの天才プログラマーです。

今のゲームでは、プロデューサーやゲーム会社は注目されますが、プログラマー個人が注目される時代だったともいえるでしょう。かなり大きな違いです。

初めてやるPC-88版ハイドライド!#1 実はこんな時代だった

1回目のハイドライドの時代背景も読んでみてくださいね☆

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です